秋の夜長とダイオウイカ。


 先日、連日の残業で疲れきっている体にイベントが重なった。
リハを終えてどこか店に入ることになったが…ここは麻布…。どうやって時間を潰そうか。
とりあえず広尾駅の近くのジョナサンに入った。


 すると、はす向かいにちょっとボケてるのかなあ…?というお洒落なお爺様とマダムが席に着いた。
席に着くなり、お爺様は「それはニンベンの方にしてね」と一言。
どうやら原稿をマダムが書き起こしているらしい。
様子を見ているとコラムのようなものを口頭で伝えているようで…。
ああ…いい商売だなあ。こんな深夜にてんこ盛りの野菜を食べながら原稿を書き起こしていくなんて。
「おーてんこ盛りだねえ」とご飯をもぐもぐと食べるご老人。


 アシスタントのマダムが席を立った瞬間、ご老人は私をいきなり凝視した。
私に何か変なものでも憑いているのか…?とビクッとした瞬間、一言こう言った。


「あなたは何屋さん?」


とりあえず、ダンス屋さんですよと答えてみた。


「そういうことか。ここに居て、あなただけ存在が浮き出てるんだよ。前に出てきてるんだよ。不思議だね。」


私の席の周りには10代のダンサーが何人も座っていて、ワーワーキャーキャー騒いでいた。
冷静に考えれば電波発言だけど、私は久しぶりに他人の言葉に心から喜んだ。
私は若い子に何か言われるよりはご老人に何か言われた方が何倍も嬉しい。
ご老人は私達の何倍もの時間を生きてきて、色んなものを見てきているはずだから。
しかも、物書きならその見てきているものの数は膨大だろう。


 私が席から立った時、またご老人は私に何か話しかけようとした。
実はあの一言話しかけられた後に、何度も話しかけようとしてきたのには気付いていた。
だけど、恐くて見ることができなかった。


 他人から評価の対象として見られるのは光栄なこと。
良い、悪い。そんな二つの結果で一刀両断してくれるからだ。
と、同時に。その人の評価は全て正しいわけではない。
でも、全てを聞いてしまうと自分が壊れてしまうのではないかと不安に駆られる。
自分の見えない場所や、見ないでおこうと思っていたところ、自分の知らない自分をほじくり返される可能性があるからだ。
だが、評価の有益性はそこにある。
私はもの凄く後悔している。
あの後、老人が何を言おうとしていたのか気になってしゃーない。
面識の無い人にどういうような印象を与えているのか、知ることができたかもしれないのに。


 私の勝手な想像だけど、つまりはあのご老人はね。
私の負のオーラを感じたのかもしれん。
何だか年の割りには老けこんでて、目もギラついてる。
だから、あんな風に思ったのかもしれん。
ちょっと最近、反省しなくちゃいけないこともたくさんあるから頑張ろ。